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2006年5月29日 (月)

いざ開戦

宣戦布告は突然に

  7月最初の土曜日。かかりつけ医のところで、いつもの血糖値測定。

  「今日は130。良い傾向ですね!」

  「有り難うございます。この調子でいきたいところです。」

  「では、また来週来てください。」

  「あっ、先生。最近ちょっと腹が張っていて、しんどいのですが・・・」

  「では、そこに横になってみて下さい。」

  「・・・・・」

  「・・・・・」

  「これは・・・・・、いつ頃からですか?」

  「この2~3週間くらいだと思います。例の薬でガスが溜まって居るんでしょうか?」

  「これからすぐに、隣の○○○病院に行ってCTを撮ってもらって来て下さい。今、私からも電話でお願いしてみますから。」

  「???」

  (看護師さんに)「今日(土曜日)は何時まででしたっけ?○○○病院は?直接×××先生にお願いしてみようか?」

   先生は何をそんなに慌てているのだろう?何がどうしたというのだろう?何故だか私一人がぽつんと目の前の現実から取り残されてしまってような、そんな感じで、周りの人たちが忙しく動き回っているのを一人眺めていました。

   結局詳しい説明は後で・・・、ということになり、土曜日の12時過ぎということもあって、急いで○○○病院へ行きました。1時間くらい待たされて、ようやくCTを撮ってもらい、さらに30分程度待って○○○病院の担当医の先生の問診を受けたのは土曜の午後2時過ぎでした。そこでは詳しい説明はしてもらえず、撮影したCT画像のコピーを大きな封筒に入れて手渡され、「月曜日の朝一番でかかりつけの先生のところで見てもらって下さい。」とだけ言われました。

 

      

 

   家に帰って中身を見てみると、よく医者で見るレントゲン画像のような青く透明な大きめの下敷きみたいなものに、ぎっしりとCT断面画像が写っており、おへその上あたりに相当する断面図には特に大きな白い固まりが写っていました。何か大きなデキモノでもできているのだろうか、腸の通りが悪くなって詰ってしまっているのか、腹を切る手術をしなくてはいけないのだろうか、何とか薬で治せるものなのだろうか、仕事休まなくっちゃいけないんだろうな、などなど・・・、月曜日の朝までウジウジと一人で悩み続けたのです。

   はっきり言ってこの段階では、CT画像を見てもどれが何の臓器で、どれが異常な物なのかも素人である私には区別が付かない状態でした。

   そして、月曜日の朝一番、診療開始時間のちょっと前には病院に着いていました。一番に診察室へと通されて、早速預かったCT入りの封筒を渡し、先生がご覧になっておられる間に、「最近横向いて寝ると息が苦しくなって、右を下にして眠れない」旨をなにげに付け加えの説明をしたところ、先生はCTからこちらに目を向けて、聴診器を当ててから、「胸のレントゲンも撮ってみましょう」と言われ、すぐに撮影が行われました。

   レントゲンの撮影中、先生が隣町の大きな病院へ電話をされている声が聞こえていました。

   そして大急ぎで現像されたレントゲン画像と、かかりつけ医の先生が書いて下さった紹介状を手に、先生が先ほど電話をされていた病院へと向かいました。

 

   初診ということもあって色々面倒な手続きがあり、あっちに行ったりこっちに戻ったり、何枚もの書類を記入したり、予約の患者さんたちに混じって待合所でボーっと順番を待ち続け、数時間後にようやく名前を呼ばれて診察室に入って行きました。

 

  「かかりつけ医の先生からは何かお聞きになっていますか?」

  「いいえ、詳しいことは何も。」

  持って行ったCT画像を並べながら、

  「腹部に大きな腫瘤が認められます。」

  「シュ・リュ・ウ?ですか??(なんじゃそりゃ!)」

  「いつから入院できますか?」

  「入院が必要なのですか?」

  「何かご都合がおありですか?」

  「何がどうなっているのか??どう言った状態なのでしょうか??(俺は何が聞きたいのやら?!)」

  「詳しい診断は色々と検査をしてみてからでないと言えません。」

  「???(頭の中が真っ白!)」

  「入院の手続きは、後で処置室の方で看護師とおこなって下さい。」

  「ちょっと待って下さい!仕事の整理もあるし・・・、いつ頃までに入院すればよろしいのでしょうか?」

  「あなた今苦しくはありませんか?」

  「ええ、ちょっとお腹が張って、食事も小食になってきてまして・・・、あっ、でも、おかげで血糖値の方は低めになって喜んでるんですが!えっへ!」

  「・・・」

  「そういえば、夜右を上にして寝ようとすると、ごぼごぼっという変な音がして、次第に息が苦しくなって、左上でないと寝られないんですが・・・」

  「それでしたら出来るだけ早めに確定診断をするためにも、入院されて検査されることをお勧めします。」

  「う~ん、ちょっと時間を下さい。」

  「・・・」

 

   はっきり言って「頭真っ白」状態でした。腫瘤ってなんだろう???入院???どうなっちゃうの???様々な不吉な想像が次から次へと頭の中に浮かんできました。と同時に、もしかするとそんなに心配しすぎることでもないのかもしれない、という希望的観測に傾きかけてみたり、極端から極端へと心が揺れ動きました。もし、このとき隣に誰か居たら、相当にパニクッて挙動不審気味になっている私を呆れて見ていたかもしれません(幸か不幸かこの年まで独り身な物で・・・)。

   そんな状態の私が最初にしたことは、先ず家に帰って気を落ち着けて、パソコンに向かい、情報を仕入れることでした。判らないこと、知らない専門用語など片っ端からインターネットで調べ上げました。特に「腫瘤」と「腫瘍」の違いについては念入りに調べました。まだ誰からも「あなたはガンです」とは言われたわけではなかったのですが、例えそうだとしても、一週間程度の猶予はありそうだという記事をインターネット上で見つけて、週末までに気持ちの整理や、今抱えている仕事の先行きに目処をつけておくことにしました(週末までは仕事を休めそうも無かったので、この時点で大騒ぎしたくなかったという面もありました)。

 

   その週末、再びかかりつけ医の先生を訪れました。

   そして、預かってきた手紙を渡し、読み終わられるのを待ちました。実際はほんの数十秒だったはずです。でも私にはものすごく長い時間に感じていました。そして、そのときがやってきたのです。

 

  「あなたは一人モンでしたね?!」

 

   この一言でピンっときました。『あっ、何やら言いにくいことを言おうとしておられるな』、そこで私は意を決して先生に、

 

  「先生、私は東京では近くに近親者が居りません。どんなことでも私本人に仰って下さい。大丈夫ですから!」

 

  すると先生はその手紙そのものを私にも見せながら、

 

  「先方では、ここに書いてある様に・・・」

 

  先生は手紙の一部を指し示されます。

  そこには【Lymphoma】の文字が・・・

 

  「悪性のリンパ腫、リンパ腺にできたガンではないかと現時点では疑っている、ということです。」

  「ガ~ン!って感じですねえ?!(シャレのつもりだったのですが、スルーされました。当たり前だっちゅうの!)」                                           

                                       

   私が落ち着くのを待つように、やや間を開けてから、右の胸やお腹の一部に水が溜まっていること、だから先方が仰るように出来るだけ早く入院してしっかり検査して治療方針を決めて、治療を開始した方がよいことなどを説明されました。広島の両親や兄弟、会社などにも連絡したり、協力を仰いだりしなくてはいけません。私の頭の中は、入院までの短期間にこなさなければならない様々な事柄が駆けめぐりました。実務的かつ具体的な当面のやるべき事柄の山が目の前にあったお陰で、その後も平静を保ったまま先生のお話を聞くことが出来たのだと思います。『ガンの告知』という医者にとっても厄介な仕事を、昨日今日お会いしたばかりの大病院の先生でなく、普段から気心の知れたかかりつけの先生にしてもらえたことは、私にとっての【幸運】の始まりだったのではないかと思います。

   その後、先生が「個人的な意見ですが・・・」と言って付け足された一言が、その後の闘病生活を支える貴重なアドバイスとなりました。

 

  「これから先、色々な人がそれぞれの立場から、色々な事を言ってくることになるでしょう。その時大切なのは、貴方本人がどのように考え、判断するかであって、人頼みにしないで、自分自身がしっかりと現実と向き合うことが大切になってきます。医者と言えども結局は他人なのだから、医者任せではダメ!治療上の判らないことや不安なことはどんどん医者なり看護師なりに聞くとか、今ならインターネットで調べるという手もあるし、とにかく積極的に自分自身の治療に貴方自身が参加して行くことです。とは言え、あまり自分自身を追い詰めないように。治療による自分自身の変化を観察する位の余裕を持って、何事をも楽しむくらいの精神的なゆとりを持つように心がければ、【病は気から】で、自然に良い方向へ進むと思いますよ!私でよければいつでも相談にのりますから!頑張って下さい!」Photo_4 Photo_5

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2006年5月22日 (月)

血糖値

血糖値

 確かテレビでやっていたのだと思います。

『しその葉=大葉が血糖値を下げてくれる』

 これだ!と思いました。早速週に一度の血糖値測定日前日である金曜日の夜に、しその葉とマグロの赤身の刺身を買い込んで、ムシャムシャと盛大に(量食べてはダメじゃん!)食べまくったのです。

 次の日は、少し早めに家を出て医者まで早足で、わざと遠回りをして行きました。ちょっぴり期待を込めながら、いつものように血糖値を計ってもらったのです。前の週までは、ようやく200を少し切る程度でした。測定器がピッピッピっと鳴って、測定結果が表示されました。

 「150!先週に比べると低くなりましたね!」

 「ありがとうございます。嬉しいです!最近特に食事に気を付けてますから」

 「この調子で頑張って下さい。」

 「はい!来週が楽しみです!」

 薬局でもこの話で盛り上がりました。

 「しその葉で血糖値が40近くも一気に下がりましたよ!」

 「よかったですね!運動も続けて下さいね!」

 「そうですね!具体的に結果が付いてくるとやる気も出るものですね!」

 「頑張って続けていきましょう!」

 「はい!!早くも来週の測定が待ち遠しいですよ!」

 斯くして週に3~4回は、しその葉大量摂取の日が設けられ、次の週には血糖値が120前後、そして6月最後の週にはついに100前後にまで下がったのでした。久々に小躍りしたいほどの嬉しさに、思わず広島の実家にまで電話で自慢してしまいました。

 しかし、ただ一点気になることがありました。月の初めから続いていたお腹の張りが、次第に強くなってきており、ついにベルトの孔をずらさなければならない程になっていたのです。少し歩くと息切れがするようにもなっていました。加えて、夜ベッドに入って、右を上にして、横向きに寝ようとすると、胸のあたりから「ゴボゴボ」っと水が漏れるような音がして、次第に息苦しくなってくるのです。元々小さい時から扁桃腺が腫れやすく、上を向いて寝ると息苦しくなっていたので、今回も今度は右向きが同じ症状になっただけ!っと、気軽に受け流していました。

 しかしこれが病からの最終警告だったのです!

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2006年5月17日 (水)

中年太り
   血糖値を下げる薬と一緒に、腸で糖分の吸収を遅らせる薬も飲んでいたのですが、この薬の副作用でやたらとガスが溜まってお腹が張ってしまうことがありました。ですからガスで苦しいときは、暫く薬を止めるように先生に言われていたのです。
 
   6月も半ばを過ぎた頃ぐらいから、やたらとお腹が張って苦しい感じがしてきたのです。最近血糖値も下がらないし、多少お腹あたりも出っ張ってきたみたいでした。“これ以上太っては拙いなあ~”などと漠然と考えていたのです。
 
   いつもの薬局の大将も糖尿病で、
   「例え30分でも、毎日歩くだけで血糖値が目に見えて下がってくれるよ!」
   と、会う度に毎日の運動を薦めてくれました。
   「せめて晩酌はビールでなくて焼酎にしときなよ!」
   とか、
   「肉減らして野菜中心の食事に換えた方がいい」
   など、自分で効果のあった色々な方法を伝授してくれました。
   それら全てとは行きませんでしたが、少しずつ実行に移して、血糖値も何とか200は切る程度には下がってきていました。
   もうすぐ夏だし、少しは“夏痩せ”などというものが出来るかも?などと淡い期待をしてみたり・・・
 
   ところが、何故か腹回りと体重は一向に減る気配を見せず、それどころか週単位で少しずつベルトがきつくなっていったのでした。ついに【中年太り】って奴かいな?!っと、諦め半分、久しぶりに腹筋運動でも本気モードでやってみようかな?!などと気軽に考えていたのですが・・・
この写真を見る

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2006年5月14日 (日)

開戦前

開戦前
いつもの日々
   ようやく後厄も終え、40代も半ばに差し掛かってきたある梅雨の一日のことです。それは数年来の付き合いになってしまっている糖尿病も、週に一度の血糖値チェック時に200越えが続いてしまっており、体重も80kg目前で、生活習慣の抜本的改善が強く求められていた、そんな時でした。
   いつもの土曜日のように、かかりつけの内科医で、血糖値検査をしてもらいました。
 
  「血糖値が256!高いですね~」
  「はあ~」
  「血糖値を下げる薬も、この間最新のやつに換えたし、あまり薬に長い間頼っていると肝臓・腎臓や膵臓への負担が大きくなって、終いには人工透析のお世話になることにもなりかねませんよ!」
  「それはちょっと・・・」
  「そろそろインスリン注射に切り替えて、臓器を休ませましょう!」
  「自分で自分の体に針を刺すなんて!絶対イヤです!!」
  「・・・」
  「そんなことするくらいなら死んだ方がマシです!!!」
  「・・・・・」
  「・・・」
  「もう少し様子を見ましょうか?!でもいつまでもこのままという訳にはいきませんよ。家に帰って落ち着いてからもう一度ゆっくりと考えてみて下さいね!」
  「はあ~」
  「・・・・・・・」
 
   いつもと変わらない、いつもの土曜日の一場面です。何週となくこのような会話が繰り返され、だらだらと、いつまでもこんな日々が続いていくものと漠然と思いこんでいました。痛いのはイヤ!辛いのもイヤ!いつもと違うことをさせられるのはめんどくさいからイヤ!その内なんとかなるだろう(byクレージーキャッツ、植木等)。
   血糖値の下がるお茶があると聞いては飲んでみるものの、あまりの不味さに続きもせず、たまに気が向けばJR一駅分程度のwalkingをしてみるものの、決して毎日は続けられないのです。せめて晩酌はビールや日本酒でなく太りにくいとTVでも言っていた?焼酎に換えてみたり、こんにゃくや葉物野菜でかさを増やしてご飯の量を多少でも少なくする努力程度はしてみたりしました。
   仕事のこと、人間関係のこと、お金のこと、親兄弟のこと、将来への漠然とした不安、e.t.c.、義務と責任と増え続ける仕事量、毎日いや増す不安・苛立ち・不満・心配事・満たされない欲求・・・、おいしい食事・楽しい晩酌・不規則な生活。結果私の血糖値は下がることを忘れてしまっていたのでした。
   こんな典型的な小市民的生活に明け暮れる毎日だったのです。

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2006年5月 8日 (月)

体の中の構造-悪性リンパ腫とは

体の中の構造

わかっていそうで意外と勘違いしているのが、私たちの体の中の構造ではないでしょうか。

①血管の他にリンパ管が全身に張り巡らされています。

 腕や足の付け根、脇の下あたりは有名ですが、腸の隅々にも沢山あって、胃の裏あたりでひとまとまりになって、肺の間を通って首の近くで静脈に繋がっています。

②リンパ管の中にはリンパ液(無色透明な液体)だけでなく、小腸から吸収した脂肪分が混じったりもします。(その場合乳白色になります)

 そもそも血液は、骨髄中の造血幹細胞という大元になる細胞から、骨髄系幹細胞(赤血球・単球→マクロファージ・好中球・好酸球・好塩基球・血小板などに変化)とリンパ系幹細胞に分かれ、さらに前駆細胞という段階を経てB細胞・T細胞・NK細胞などのリンパ球になります。

③リンパ球による免疫機能には、体液性免疫と細胞性免疫の2種類があります。

 体液性免疫は、B細胞が作り出す抗体によって抗原(体内の異物:細菌やアレルゲンやガン細胞など)を分解・除去する働きで、一方、細胞性免疫は、T細胞が直接抗原を除去するように働くものです。

(以下図面は、『からだのしくみ事典 浅野伍朗監修 成美堂出版』より)

                     
悪性リンパ腫とは

 私がかかった病名、それが『悪性リンパ腫』です。簡単に説明すると、リンパ球であるB細胞またはT細胞がガン化して、リンパ節に腫瘤と呼ばれる固まりになって無限増殖してしまう病気です。同じ血液のガンである白血病との違いは、白血病は血液や骨髄の中でばらばらにガン細胞が増えてしまうのに対して、悪性リンパ腫はリンパ節の中でのみ増殖するという点です。

(以下の図は、『新版 病気の地図帳  山口和克  講談社』より)

 

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『悪性リンパ腫』自体は詳しく分類すると30種類にも分けられるのですが、組織型による分類では、日本における『悪性リンパ腫』の多くは「非ホジキンリンパ腫」と呼ばれる種類(アメリカなどでは「ホジキンリンパ腫」と呼ばれるもう一つの種類のほうが多い)がほとんどです。

 また、病気の進行度によって年単位でゆっくり進行する「低悪性度」、月単位で進行する「中悪性度」、そして非常に進行が早い「高悪性度」の3つに分類されます。また、顕微鏡下にて、弱拡大で見てひとつでも明瞭な結節があれば濾胞型(ろほうがた)と呼び、そうでないものは瀰漫型(びまんがた)と呼ばれます。

http://www.nurs.or.jp/~academy/igaku/s2/s22622.htmより)

『悪性リンパ腫』の場合、病気の進行度=病期は、4段階に分けられています。

以上を極簡単にまとめると、私がかかった『悪性リンパ腫』という病気は、本来外敵から体を守る免疫作用の担い手であるリンパ球が、リンパ節の中でガン化し、瘤状に大きくなるもので(私の場合は主に腹部に巨大腫瘤として発現した濾胞性B細胞リンパ腫)、本来の免疫機能が低下したり、他の臓器へ転移したり、腹水や胸水が溜まったり、巨大化した腫瘤が他の臓器を圧迫して障害をおこしたりします。

お勉強はこのくらいにして、次のページからは私の実体験をお話しさせていただきたいと思います。色々な初体験をさせてもらえました。中にはけっこう痛めのものもありましたが、今から思えばそれも貴重な経験です(もう二度と結構ですが・・・)。時系列に従って順に思い出しながらお話しさせていただきます。

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